網野善彦が見た、経済主義と反経済主義:「日本社会の歴史 下」網野善彦

日本社会の歴史 (岩波新書)

本書は、歴史家網野善彦が、「日本」国ではなく、日本列島に生じた人間社会の歴史を様々な面から記述しようと試みた意欲作である。

「日本」は、古代において日本列島各地にあった地方政権のうちヤマト王権が勢力を拡大し、701年、大宝律令の制定とともに対外的に名乗った国号である。当時、北海道、東北北半部、沖縄以南は異なる文化、社会であった。

著者はその後、対外征服を進め律令制を維持発展させようとする「日本国」の悪戦苦闘とともに、次第に律令制が形骸化していく様子を詳しく描いている。大きくみればその過程は、「日本国」中心部以外の地域社会が自立し、戦国大名に代表されるような様々な「地域小国家」が分立しそれぞれに発展していく過程でもあった。

本書では、かつて著者が「無縁・公界・楽」(1978年)で展開した中世の自由についての理想的な捉え方は見られなくなり、「無縁・公界・楽」は、戦国期に至るまでに発展した村町の自治や、寺社勢力や商業活動の活発化を示す言葉となっている(下巻、p80)。

本書(1997年)は、その参考文献にあるように、1980-90年代に進められた中世史の新たな展開(藤木久志、勝俣鎮夫らの仕事)を踏まえての記述になっているようだ。

興味深いのは、様々な自治組織を統合した地域小国家が、幕藩体制としてさらに大きく統合された江戸時代の描写である。それまでに新たに得られた知見を反映させて、江戸時代の経済と社会の発展を生き生きと描いている。「公界」など様々な自治組織の自由な活動を圧殺して成立した武家統一政権の時代、というこれまでの網野善彦の主張とは大違いの印象だ。

そして、二つの政治潮流、「農本主義」と「重商主義」のせめぎあいとして江戸時代を描く視点を示している。

ここで言う「重商主義」とは、西欧史での「重商主義」=自国の産業を保護して輸出を進め、世界中で一定量しかない富を可能な限り蓄積する、ということではなく、様々な分野で自由な経済活動を進め富を増やしていく、という考え方のようにみえる。西欧史ではむしろ「重商主義」に対抗し、やがて経済学を生み出すことになる「重農主義」に近いと思うのでややこしくなる。

片や「農本主義」は、土地とそこで生産活動を行う農民を基盤として、生産される富の量は一定としてそれを政府が効率的に収集するために統制を強める考え方である。

重商主義」(経済主義と読みかえたい)と、「農本主義」(反経済主義)の視点で政治潮流をとらえる考え方は、けっこう射程が広いと思う。現代の日本でも適用できそうだ。網野善彦がのこした仕事の新たな可能性を見出したような気持ちがして嬉しい。