都市形成のシミュレーションをしてみよう(1):「自己組織化の経済学」 ポール・クルーグマン

自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか (ちくま学芸文庫)

自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか (ちくま学芸文庫)

本書は、2008年のノーベル経済学賞受賞や、日本経済に対する言及などで日本でもよく知られている経済学者ポール・クルーグマンが、「自己組織化」という概念を用いて、都市の発展や景気循環などの経済現象に切り込む、刺激に満ちた本である。読んでみて面白かったので、彼のシミュレーションモデルで遊んでみたくなった。「自己組織化」は、様々な現象に適用できる普遍的な概念であり、ほとんど均質あるいは乱雑な状態から、組織だった秩序や形態が、現象の「不安定」を通じて生じる仕組みを指すものである。もうひとつ、「ランダムな成長」から生まれる秩序、というものも「自己組織化」の根幹を成す考え方である。現象の「不安定」を通じて生じる秩序という考え方は、地球流体力学ではおなじみのものだ。自然界においては、本書で取り上げられているハリケーンや竜巻、あるいは海洋であればエルニーニョ現象黒潮大蛇行も、同様の仕組みを通じて生じるものだ。

クルーグマンが本書で紹介している、「エッジシティーモデル」は簡単なものであるが、それだけに「自己組織化」の仕組みを端的に理解できる優れた道具であると思う。さっそくシミュレーションしてみよう。クルーグマンがこのモデルを解析していた1990年代初頭から20年もたつと、その辺にあるパソコンで計算するのがとても簡単になった。良い時代になったものである。エッジシティーモデルは、
∂λ/∂t = γ(P(λ)-Pm(λ))λ           (1)
P(λ)=∫x(A exp(-r1 Dxy) –B exp(-r2 Dxy))λ(y) dy (2)
、たった二つの式だけである。λ(x,t)は企業の存在密度であり、位置xと時間tの関数である。方程式(1)は、密度λの時間発展を記述する、いわゆる動学モデルである。

(2)式で定義されるP(λ)は、企業にとって位置xの市場としての可能性を表わす指標であり、それは「求心力」の項A exp(-r1 Dxy)と、「遠心力」の項B exp(-r2 Dxy)のバランスとして表わされる。位置xと位置yの距離Dxyが大きくなるとそれぞれの力は弱まるようになっている。具体的には、ある場所に多くの企業が集積していれば、集客に有利であり、また企業間の輸送費が安くなるなど、企業間の様々な取引の便宜が期待できる、これは企業にとって「求心力」として作用する。一方、各地域に分散している住民に対するサービスを提供しようとすると、過度の集中は住民への輸送費などの問題から好ましいものではないし、集中による過度の競争も望ましくない。こうした理由から「遠心力」が存在していることが考えられる。

動学モデル(1)は、各企業が、位置xの市場可能性Pが全領域での平均的な可能性Pm=∫Pλdxより大きければxに移動していく過程を表わしている。最初に∫λ(x,t=0)dx=1としておけば、動学モデル(1)から∫∂λ/∂tdx=0となるので、企業の総数は全期間を通じて一定である。さらに経済学的な仮定として、「求心力」は「遠心力」より弱く作用し、また「求心力」が及ぶ範囲は「遠心力」が及ぶ範囲より狭い、とする。企業は他の企業がすぐ近くに立地することは好むが、少し離れたところに立地することは競争となるので好まないのである。このことから、最も重要な仮定として
  r1/r2 >A/B > r2/r1 (3)
とする。「求心力」が「遠心力」より強ければ、動学モデル(1)は一点に企業が集積する過程を表わすだけの面白くないモデルになってしまう。

まず手始めに、本書でクルーグマンが示している、一次元の円環上での都市形成が再現できるかどうか確かめてみよう。「求心力」は「遠心力」より弱いとして、A=0.2、B=1.0とする。「求心力」の及ぶ範囲が広めの場合(r1=1.4,r2=0.2)には、

となって、円環上の対面に2大都市が形成される。また、「求心力」の及ぶ範囲が狭くなる場合(r1=2.8,r1=0.4)には、都市の大きさが小さくなって、

のように、円環上に等間隔で4大都市が形成される。微妙に本とは位置が違うようであり、結果が初期値や計算機に依存するところもあるようだが、無視できる程度だ。「求心力」は、現象の規模を増幅する正のフィードバックであり、「遠心力」は負のフィードバックであると考えれば、これらは他のどの現象にもみられる働きだ。例えば、海流の蛇行ならば、動学モデルは地球流体の運動方程式である。この場合、流体の移流効果(流れが一緒になったり分かれたりする効果)が正のフィードバックであり、粘性や散逸が負のフィードバックである。クルーグマンは、方程式をある状態のまわりで線形化し、線形化した方程式にフーリエ級数を代入し、その係数を調べて最大成長率をもつ波数の波動を抽出しているが、流体解析でもまったく同じことをやるので、とても親近感がある。正のフィードバックが負のフィードバックとうまくバランスするような波動の波長が、都市間の距離を決めるのである。

動学モデル(1)(2)は、概念的であるがゆえに、とても簡単なものだ。クルーグマンは経済学者として、「求心力」や「遠心力」が、制約付きの効用関数最適化(ミクロ経済学)の結果としての「一般均衡モデル」から具体的に表現できるところまで本書で述べている(ミクロ的基礎付け)。そのあたりの技術的細部は素人には難しいが、経済学でも動学モデルが出てくると、わかりやすくなるような気がする。クルーグマンは、今まで読んだところだと必ず何らかのモデルを前提にして話をするようなので、議論の見通しや限界がわかりやすいと思う。今回はこれで、本書のとおりモデルが構築できたことを確認できたので、次は二次元の平面にしたらどうなるか調べてみよう(続く)。