自壊した帝国: 「新・ローマ帝国衰亡史」 南川高志

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

地中海沿岸、西ヨーロッパ一円を征服し、1-2世紀に最盛期を迎えた古代ローマ帝国が衰亡していった経緯は、18世紀に書かれたギボンの「ローマ帝国衰亡史」を代表として、多くの史家によってとりあげられている。本書は「21世紀のローマ帝国衰亡史」をという意気込みで、衰亡がはじまる直前の4世紀における政治史に焦点をあてている。結論として、帝国の存立を支えるいくつかの社会的な基盤が4世紀の後半の数十年で消滅し、一挙に「自壊」したのだとしている。最盛期のローマ帝国は、境界付近に駐屯するローマ軍団と、ローマ的生活様式、そしてこれを実践する地方有力者のローマ人としての自己認識に支えられていた。こうした社会基盤は、人種など出自を問わない普遍的なひろがりをもっていた。

4世紀の後半に入ると、辺境からの非ローマ人たちの侵入に際し、ローマ軍団が対応しきれず大敗し皇帝自身が戦死したり(アドリアノプールの戦い、378年)、あるいは中心部を防衛するために境界に駐屯する軍団をひきあげ、西側の辺境属州を放棄する(406年)などの過程で、少なくとも西側において5世紀の初めには、帝国を支える社会基盤が崩壊してしまう。

従来、こうした経緯はいわゆる「ゲルマン民族の大移動」として、周辺異民族による帝国への壊滅的な打撃とみなされていた。本書によれば、そもそもまとまった「ゲルマン民族」は存在せず、雑多な非ローマ人の様々に異なる集団をローマ側からみて、便宜的に「ゲルマン人」と呼んでいるだけであったいう。移動の経緯も、帝国側の挑発が招いたともいえるローマ市での明白な略奪などを除けば、それほど破壊的なものではなかったらしい。むしろ、帝国内部でローマ的なものを排他的にとらえる考え方が台頭し、多様な集団をまとめる帝国としての統合が西半部で失われてしまったことが実態なのである。4世紀後半から進行した帝国内部の排他的な思潮は、キリスト教内部でも同様であった。不寛容なキリスト教ローマ帝国を不寛容な体制に変質させたのではなく、社会全体が不寛容になるとともに、キリスト教もその他の伝統宗教も、すべて不寛容になったのだ。

帝国を支える活力は、中心部よりむしろガリアなど西側の辺境部にあったのだという考え方も面白い。実際、4世紀の皇帝たちは、当時もっとも外的な脅威であるとみなされていた東部国境でのペルシアとの戦争に、西側のガリアから軍団を動員しているし、中枢で活躍するようになった高級軍人や官僚にも辺境属州出身者(「第三の新しいローマ人」)が増えている。しかし、4世紀の後半に生じた排他的な体制は、辺境部から供給される活力を消滅させてしまうことになった。排他的な体制は、ローマのみならず非ローマの諸集団でも同様で、この時代以降、各地方に割拠した諸集団がそれぞれ排他的に固有のアイデンティティを確立していった。

本書が浮かび上がらせる大きな謎は、4世紀後半以降の排他的な体制は、なぜ生じたかということである。本書ではこれからの課題とされているが、私が注目したいのは気候変動の影響である。ローマは、移動してきた外部の諸集団(東ゴート人など)に従来のやり方で対応し、辺境部での定住を許したにもかかわらず、諸集団はそこでの農耕をあきらめ各地を移動し、略奪をはじめたりしている。なぜ彼らは定住をあきらめたのか。本書では、農業生産など経済的な動向については触れられていないが、おそらくこの時代以降、農業生産がおおきく減少しているのではないか。気候変動によって辺境部が従来の農業に適さなくなったのではないのだろうか。そう思ってネットで調べたら、最近、科学誌「サイエンス」で当時のヨーロッパにおける気候変動がとりあげられており(下図)、ローマ帝国の衰亡との関連が指摘されていた。

この図をみると、3世紀以降寒冷化が進行し、降水量も大きく変動しており、安定した水準に戻るのは8世紀以降である。進行した寒冷化により、以前の温暖で安定した気候のもとで発展した「ローマ的生活様式」は、辺境部で維持することができなくなり、辺境諸集団の南下を促したのではないか。さらに言えば、当時いたるところで生じた排他的な体制は、大規模な気候変動のもとで生き延びるための適応だったのかもしれない。本書では、動乱の時代にあって必死に対応を模索する人物像の叙述が魅力的である。「大帝」コンスタンティヌス1世をはじめとして、ガリアやペルシアでの事態に必死に対応しようとしたユリアヌス帝、アドリアノプールでの敗北後の事態を収拾したテオドシウス1世、外部諸集団の侵入に際し、ローマ中心部を守り抜こうとした将軍スティリコなど、行動の結果はともかく、それぞれ必死に戦ったのだ。

本書は従来の考え方に変更を迫る刺激的な仮説の提示をしていて、様々な想像をめぐらしながら面白く読めた。短い新書でありながら、21世紀の新・衰亡史を名乗るにふさわしい好著である。