社会運動における二つの道:「新しい左翼入門」 松尾匡

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

著者は、社会を変えようとするあらゆる運動に普遍的にみられる、二つのありかた、すなわち原則主義的なトップダウン路線と、現場の実感を優先するボトムアップ路線の存在を指摘する。日本の社会主義(本書でとりあげている「左翼」)運動の歴史においても、この二つの路線の対立が常に存在していた。

明治大正昭和と続く社会主義運動の歴史についてはまったく知らなかったので、その点について興味深く読んだ。関東大震災の際の弾圧事件のくだりでは、当時、社会主義者が、体制側からみて、いかに反社会的な存在とみられていたかということがわかる。現代でも、体制側からみた、ある種の反社会的存在が想定されており、社会不安に乗じてそれらがスケープゴートにされそうな予感を感じる。少子高齢化した現在の日本社会では、高齢者の多数派からみて理解できない種類の営み(高齢化している現存の社会主義運動ではないだろう)が、「反社会的」とみなされるのだろう。

本書でとりあげられる人物では、堺利彦賀川豊彦に惹かれる。二人とも、二つの路線のどちらかで割り切れるような人物ではなく、一筋縄ではいかない。堺利彦は、理想を追いながらも常に活動資金の確保に心を砕いており、仲間への配慮も怠らない。賀川豊彦は、キリスト教の伝道、生協運動、大規模な労働争議、農民組合運動、戦後社会党の設立など、実に様々な事業の創始に関わっている。

本書の主題である二つの路線については、事業の遂行につきもののリスクと、二つの路線の関わりが大事である。新しい、革新的な試みは、それが失敗するリスクを創始者個人で負いきれる範囲で始められるべきものであり、そこでは少数者のトップダウン路線が有効に機能する。試みが軌道に乗り事業の範囲が拡大して、創始者が現場をすべて掌握できなくなる一方で、組織が安定し現場で生じるリスクについて現場の人間が負いきれるような状態になったときは、現場からのボトムアップ路線に転換する必要が生じる。正しい考え方だと思う。

しかし歴史をかえりみると、失敗するリスクが創始者自身で負いきれる範囲ではないであろうにも関わらず、少数者のトップダウンで始まった試みが数多くある。明治維新でも、西郷、大久保らの倒幕派は少数派ではあったが、最後には幕藩体制を打倒してしまった。ロシア革命においても、最後は少数派のボルシェビキが主導権を握った。本書の立場からは、こうした大規模な変革は、リスクが大きすぎるので否定される。その意味で本書は、ある種の保守主義のすすめであるとも解釈できる。