中華帝国という難問:「嘘だらけの日中近現代史」 倉山満

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)

嘘だらけの日中近現代史 (扶桑社新書)

日本に最も近い大国である中国との関係は、日本の政治にとって常に重要な問題となってきた。本書は、中国の政治史は王朝の盛衰に伴う一連の定型現象のくりかえしであるとし、王朝の衰退にあたって決まって生じる動乱期の中国との外交は「ノータッチというタッチ」であるべきだと説く。つまり、「国益や国民の権利が危なくなったときは最小限度の介入をするが、大規模な軍事展開は行わない。内部の争いには不関与だが、自分に危険が及ばないように要路の関係を保ち情報だけは入手し続ける」(本書p106)というのだ。その理由は、動乱期にあっては中国国内の対立する諸勢力が各々の利益になるように日本との関係を利用し、最も深刻な場合は日本を破滅させてしまうからだという。その典型的な例が、大日本帝国を破滅に至らせた、日中戦争からアジア太平洋戦争にかけての一連の戦争だ。逆に「ノータッチというタッチ」外交がうまくいっていたのは、外交官石井菊次郎らが活躍した大正期であったという。

一読して、複雑で素人にはなかなかわかりにくい日中関係近現代史をわかりやすく解説してくれていると感じた。戦前の日本は、ファシズム(一国一党)どころか軍国主義すらまともに実現できず、国策をまとめられなくなって、対外関係、とくに対中関係を制御しきれなくなって破滅した、という指摘は興味深い。こうした指摘は、根拠となる参考文献が明示されているわけではないが、他の歴史家が書いている通史の記述とかなり一致しているようにみえる。著者は相当に関係文献を読み込み、とくに近年の歴史研究の成果をふまえたうえで、十分な自信をもって記述しているのだろう。例えば、

においても、近衛内閣は日中戦争を解決するため一国一党の政治勢力結集(これがまさにファシズム)をはかったが挫折し、アジア太平洋戦争に向かう破綻を回避できなかった、と述べられており、本書の主張とおおむね一致している。ただし本書はさらに踏み込んで、近衛文麿周辺への外国工作の意義を強調している。

また、満州事変後のリットン調査団報告書についても、上記の「満州事変から日中戦争へ」では、「リットン報告書はイギリス流の現実主義で書かれた部分も多く、日本の経済的利益の擁護への配慮も十分なされていた」(p148)とあり、このあたりも本書の主張と一致している。ただ同書では同時に、リットン報告書が、日本が満州における死活的権益とみなしていた鉄道併行線の禁止と、鉄道守備兵については否定的であり、日本がそれについて強く反発していたとする。そして、こうした日本の特殊権益は、実は条約や協定の本文ではなく、それに関して日中で議論した議事録に依ってはじめて確認できる微妙なものであり、英米にそれらを認めさせることは容易ではなかったことを示している。いずれにしても両書は、当時の日本外交が対外宣伝で中国の各勢力に遅れをとったとする点で一致している。

本書による、定型化した中国政治史の変動過程は、中国が始皇帝による統一以来、「中華帝国」(山川世界史)

もういちど読む山川世界史

もういちど読む山川世界史

という一定の政治制度の枠内にあり、今でもそれが機能し続けている、という主張であると理解できる。ジャレド・ダイヤモンドは、「銃・鉄・病原菌」(下)において、中国とヨーロッパの地理環境を比較し、中国では黄河揚子江という両大河の存在と比較的平坦な地形が各地域の結びつきを容易にして、政治的統一すなわち「中華帝国」の実現を促した一方、ヨーロッパでは大河の規模が小さく、各地域が急峻な山脈によってさえぎられており、政治的統一の維持が困難になったと述べている。

そして中国では、様々な技術の発展が「中華帝国」の恣意的な支配のもとで妨げられることが多々あり、ヨーロッパでは小国の分立が技術的競争を促し、最終的に産業革命をひきおこすことになったとしている。本書が述べる、中国社会におけるある種の困難、と共通したところのある主張だと思う。

本書はやや過激な物言いを用いているが、ごく真っ当なことを述べていると思う。中国の現体制が不安定になり再び動乱期に突入しているのかどうかはわからないが、もしそうだとすれば、日本が動乱期の中国とつきあうにあたり、本書がいう「ノータッチというタッチ」という戦略がとれるかどうかが、今後きわめて重要だということになる。