特異な「地中海世界」を生み出した怪物:「軍と兵士のローマ帝国」井上文則

岩波新書ローマ帝国ものが面白い。

自壊した帝国: 「新・ローマ帝国衰亡史」 南川高志 - myzyyの日記

職務に忠実な人:「マルクス・アウレリウス」南川高志 - myzyyの日記

と読んできたが、ローマ帝国の軍隊を正面からとりあげているのが本書である。読まないわけにはいかない。2世紀までの「ローマの平和」時代に加え、後期の軍隊についてもくわしく述べているのが本書の特色である。

ローマ帝国の軍隊は、共和国時代の市民軍から発展した。当時の他の国々と同じように、農閑期に召集されてその時期だけ戦う「耕戦の士」であった。ローマ人はきわめて好戦的な民族で、従軍は彼らにとって略奪で富を得る機会でもあり、ローマ市民の特権であったとさえいえる。

旺盛な戦意と、卓越した軍事と土木の技術によって地中海の強国となったローマの軍隊は、戦域の拡大と戦争の長期化とともに、市民軍というよりは、有力者たちによって雇われる私兵のようなものになり、半ば常備軍化する。

激化した有力者どうしの内戦を制し初代皇帝となったオクタウィアヌスは、軍隊を正式に常備軍化した。常備軍の費用は、当時拡大発展していたシルクロード交易から得た莫大な関税に支えられていた、という知見が興味深い。1-2世紀には、後漢クシャーナ朝、パルティア、ローマ帝国とユーラシアの東西に大帝国が並立し、交易網が安定していた。「ローマの平和」の時代である。この時期、軍隊は辺境属州に置かれて治安維持とさらなる領土拡張を担い、行政全般も担当していた。軍隊の総数は36万人!を超え、古代世界最強を誇った。

ユーラシア各地に大帝国が発展した時期は、前200年~後150年ころまでの「ローマ最良気候期」(本書、p227)にあたっていたが、2世紀後半から乾燥化・寒冷化がはじまり、相次ぐ疫病と内外の戦争によって、一気にユーラシア全体で秩序が不安定化する。

ローマ帝国においても、五賢帝時代の最後であるマルクス・アウレリウス帝の治世から不安定化し、3世紀の「軍人皇帝」の時代には、相次ぐ内戦や異民族の侵入に対処するために、皇帝に直属する機動軍が創設される。内外の危機を反映し、後期の軍隊は機動軍と辺境防衛軍で構成されるようになる。

東西に分裂したローマ帝国の機動軍は、次々に侵入してくる異民族への対応と、東西どうしの内戦による度重なる激突で激しく損耗する。シルクロード交易を掌握していた東部は生き残るが、機動軍を支える財政基盤を失った西部は5世紀には滅亡してしまう。

そもそもローマ帝国が統合していた「地中海世界」は、本来東西で別々の歴史的性格をもっており、東部はオリエントの一部なのだという指摘が興味深い。性格のことなる東西領域を数百年にわたって統合し歴史上特異な「地中海世界」を創り出していたのは、シルクロード交易の富に支えられた精強なローマ軍の存在あってのことだったのである。

ローマ後期の歴史家アンミアヌス・マルケリヌスによる「ローマ帝政の歴史」が、辻邦夫の名作「背教者ユリアヌス」創作に大いに役立ったであろうことがわかったのも面白かった。